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箱根

 箱根に、行ってきたのである。行ってきちゃったんだからしょうがないだろ。

 九月初旬より中旬にかけて、北海道在住の友人が我が家に滞在していた。その直前に住み込みで箱根でアルバイトをしていたとのことで、箱根の土産話を聞かせてもらい、いてもたってもいられなくなったのが発端だった。

 町田からロマンスカーで一時間、観光地化に完全に勝利した景勝地にして温泉地、下調べの段階でかなり広大な土地に愕然としたもので、行ってみればリピーターが多いこともうなずける。一度では、堪能しきれない。

 老後にでも一カ月くらいの長い期間どっしり腰を据えて楽しむか、日帰りや一泊を何度も繰り返して訪れるのが正道と確信せざるを得ぬほど、見どころが多いのである。

 一日目は昼頃に到着。肌寒くなる季節だが幸い晴天に恵まれ、ジャケット一枚でも十分な気候。宿に荷物を置いてから元箱根港まで行って芦ノ湖を眺めながら飲酒したあと宿に戻って風呂に入って夜は世にも奇妙な物語を観てから就寝。ゆったりと過ごした。

 二日目は早めに起床して朝風呂につかった後、箱根園へ。箱根園水族館へ行ってペンギンやあざらしなどを堪能したあとは駒ヶ岳ロープウェーに乗って駒ケ岳山頂へ。ここがすさまじい。小田原周辺はもちろん、横須賀や、千葉のほうまで一望できる。絶景、と呼ぶにふさわしく、元日にご来光を求めに来る人々がいることもうなずける。

 旅行が好きだ。だが現職に就いてからというものまったく時間がなかったが、転職することになっているのでこれを機にまたいろんな所へ繰り出したいと思う。

【漫画感想】カオス・ナイト

 大覚寺花音は狂っている。ほめ言葉ではない。検証すら必要のない厳然たる事実として、私はそう確信している。

『カオス・ナイト』について語る前に、補遺を挿入しなければならない。大覚寺花音は在野の漫画執筆者。すなわちアマチュアの同人描きだ。三カ月に一度開催される同人誌即売会コミティアで、幾度となく名義を変えながら毎度作品を発表し続けており、作品はだいたい買っているのだが、ある時を境にその執筆量が異常なほどに膨れ上がり、毎回コミティアで100ページ超の漫画を二冊発表するなどして、購読者の財布にダイレクトアタックを仕掛けてくる。

 それだけ聞くと、「ああ、質より量の人ね」と思われるだろう。当然だ、三カ月で200ページなんて、週刊連載の漫画家並みのペースだ。漫画が本業でもない素人がこなせる執筆量ではない。書くだけなら誰だってできる、そう思うだろう。

 ヤツの作品は、ヤバい。密度と濃度がヤバイ。

 大覚寺花音はラーメン二郎だ。大覚寺花音は、狂ったラーメン二郎だ。ラーメン二郎を狂わせれば、大覚寺花音が現れることだろう。

『カオス・ナイト』は、その狂った執筆者によって生み出された、イカれた超大作である。超大作ってなんかもっとこう、構想何年!みたいなもののことを言うんじゃなかったのか?なんでこんなものを三カ月で作ってしまうんだ。

 

 SFに、ワイドスクリーンバロックというジャンルがある。以下はウィキペディアからの引用である。

 

時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄— ブライアン・W・オールディス、『十億年の宴』p.305より 浅倉久志

 

 またウィキペディアには、「バロック芸術は秩序と運動の矛盾を超越するための大胆な試み」とある。ならば、大覚寺花音はまさに現代におけるワイドスクリーンバロックの正当な伝承者であると言える。

 いや、私だって本当はこんなジャンルあてはめ〇×ゲームがしたいんじゃない。私の感受性では既存の概念に結び付けてしか、大覚寺花音を語ることができない。まるで腹話術の人形だ、私の喉からはなんの声も発せられることはない。

 歯がゆい。嫉妬した。狂った登場人物に、荒唐無稽な世界観。そしてどんどん加速しながらすべてがつながっていく物語。セリフ回しには理性と機知が通底している。これはまさに自分が同人誌を作っていたころに志向したものではなかったか。

 私の話はどうでもいい。作品を語ろう。語れない。何を語っても的外れな気がする。こういうブレーキが備わっているから私はダメなんだ。花音ちゃんみたいに情熱のままに作品に昇華しきれない。

 私のブレーキは壊すことができない。だがこの膨れ上がっていく大覚寺花音への感情を、あえて綴ろう。ギアを入れろ。最大まで入れれば、ブレーキなんて、ただの気休めでしかないんだから。シューがぶっ壊れるまでエンジンをふかしてやれ。これで私も狂人の仲間入りだ。

 情動がほとばしる前の最後の理性が、これを告げている。ここから先はネタバレを含む。これは私から大覚寺花音へあてたラブレターであって、『カオス・ナイト』を読んだものだけが理解できる符牒である。大覚寺花音について私から伝えるべきことはすべて伝えた。これから『カオス・ナイト』を読む者は自己の判断でここから先の記事を読んでも読まなくてもいいし、『カオス・ナイト』を一生読まない者には永遠に用のない限界怪文書である。それを踏まえることができない者は、即刻退去せよ。ブログを全世界に公開しているからといって、筆者は読者を選べないなんて誰が決めた? そうだろう?

 

「中高生に読んでほしい」本人がそう言った今回の作品は、王道学園ラブコメめいた景色から幕を開ける。だがこの作品は王道学園ラブコメではない。ラブもコメディもあるが、ラブコメと呼ぶには、他の様々な要素が介入してくる。すべてを列挙することは、不可能に近い。敢えて一言で表すとするなら「エンタメ」それ以上の言葉を用いることは野暮となるだろう。

 エンタメ、である。本作品は「俺TUEEEEEEEE系」の要素を含んでいる序盤から中盤にかけては主人公成人が、カオスの能力で、強敵を粉砕していく。これが超絶気持ちいい。論理者と呼ばれる存在に毎度ヒロインのさきが狙われるのだが、どんどん出てくる刺客が強くなっていく。「えっ、今度はこれどうやって乗り越えるの?」「ちょっと待って時間を巻き戻す能力なくなったら詰みじゃん」みたいなのを、いとも簡単に超越していく。

 なにが起きているのかは、正直理解できない。だが途方もない説得力が、この漫画には存在する。読者を「うむ、なるほどな」と力技で理解させることができる。

 そう、力技だ。この漫画には、様々な系統の特殊能力が出てくる。胃能力、願望力、Kanon、筐体論……、それぞれがまったく違うアルゴリズムによって動作する超能力だ。

 だが、クライマックス。大覚寺花音(※作者と同名の作中人物)との決戦で勝負を決めるのは暴力。力技である。このシーンに、この作品のすべてが集約されていると言える。大覚寺花音(※作者)は力技で読者をねじ伏せ、屈服させるのだ。

(その途上でいちいちさしはさまれるセリフ回しがいちいちカッコイイ。

「サクヤ、この戦争が終わったら結婚しよう」

「それって戦争が終わる前に言うんじゃない?」

「戦争はまだ終わってないよ 多分ね」

 シビれちゃうね)

 最終戦争。論理者との対決シーンである。ここで論理者がヒロインを付け狙っていた理由があかされるとともに、論理者はカオスの力で、大覚寺花音(※キャラ)の人生へ転生することになる。

(この時のセリフがまたシビれる。

 「幸せなのも悪くないぜ」)

 論理者が転生した先である大覚寺花音は、巻末のキャラクター紹介で「様々な外世界から無限に転生者の人格や欲望を招き入れて浄化する「歩く修道院的な性質をもっており(後略)」ということがあかされる。

 ええっ、なんでそんな重要な話本編で全然触れられてないの?!

 その理由は明白だ。

「なんなのかわからないし、理由も特にないんだと思う」

 成人がテキストの胃能力を無効化したとき、自分の能力「カオス」について言及した場面。

「これは完全に無意味な裏切りですわ」

 章9第 トイナスオカにおいて、成人たち一向に牙をむいた大覚寺花音(※キャラ)が放ったセリフ。

 意味なんてないのである。娯楽として楽しければ。読者が幸福になれば。それでいいのだ。一見諦念ともとれる情動を大覚寺花音(※作者)は見事エンターテイメントに昇華した。成果物が面白ければそれでいいのである。設定を取捨選択することに意味などない。大覚寺花音(※作者)のこの無意味なショー/あるいはカオスの力によって、読者はえもいえない充足感を得ることになるのだ。

 

 抜群の物語が読みたい。この私の欲望は、こうして大覚寺花音(※キ作ャ者ラ??)によって救済された。

 

揺れて揺れて今心が何も信じられないまま

まじでこの世の全ての寝具好きに教えてあげたいんだが我が家には全ての人間を虜にする禁断のハンモックがある。
これからの時期にぴったりの抜群の通気性と心地よい振動で爆睡必至だからぜひ全国の寝具好き、寝具を愛する者たち、寝具を憎む者たち、全ての寝具関係者に伝われ

 

 というわけで、ハンモックを購入した。

 折り畳み式の骨組みに装着して使用するいわゆる自立式ハンモック。私が購入したのもこの自立式で、いっときブームが起こっていたようだが、今では多少落ち着いたのか、2015年のモデルが半額程度で手に入った。

 使用感としては最高で、読書でもしようと乗り込むと気持ちよくなってすぐに眠くなってしまう。自然な揺れは発生しないが、おそらく体の姿勢自体が、通常の布団やベッドと比べると圧迫が少ないためか、身体が大変楽である。

 ただ一個難点あり。この骨組み、接地して全体を支える二本の主幹部と、該主幹部の端部が関節部で連結された二本の骨組みから成るのだが、骨組みの間に渡してある補強用支持部?とでも呼ぶべき箇所が、経年による劣化か、折りたたむ際に歪んでしまった。幸いこの部分がイカれてもあまり強度に問題はなさそうなのでそのまま使用しているが、ちょっと残念である。

 というわけで諸賢にはぜひ、比較的製造年月日が近いものの購入をオススメしたい。

 それにしてもハンモックを使用する際に「横たわる」という語は穏当なのだろうか。

GW総括

 GW最終日である。私は27日も出勤していたので、連休は9日感だったが、27日に退勤した瞬間の全能感はもはや完全に霧消してしまった。ともあれここ数年はメンタル的に結構しんどくて、あまり塩梅の良いGWは過ごせていなかったので、今年はかなり充実できたと思う。

 だいたいやったことはこのブログに書いてあるのだが、ボードゲーム作家の友人の手伝いでイベントスタッフをやったり、後輩やマイメンと遊んだり、そうめんを流したり、友人と秋葉原周遊したりと、だいたいそんな感じだ。あとは本を読むか曲を作るかマリオカートをやるかをしていた。

 今日やっている文学フリマは行こうと思っていたが、朝の気分があんまりすぐれなかったので、明日仕事があることも考えて控えることにした。

 それにしてもGWは財布のひもが緩んで、ついいろいろ買い物してしまった。仕事のある日は飯くらいにしか金を使えないのだから、たまにはいいかもしれないが、自制心を忘れてしまうとどうしても生活が破たんするほどつぎ込んでしまいそうになる。

 

 来週は友人の墓参りと、コミティアに行く。それが済めばイベントめいた行事はひと段落だ。あとはまた退屈でクソッタレな労働に従事するクソエブリデイが待っている。

 今年は冬の文フリに申し込みたいのと、今年には間に合わなくてもM3に出演する準備がしたい。そのために平日からいろいろ画策しなくてはいけない。はてさて、いかがなものか。

雛鳥

 秋葉原は変わった。進化し続ける街に順応しきれなくなるのは、自身の停滞を強く印象付ける。コンテンツにしてもそうだ。それぞれの人にとっての宝の山は各地に散在し、その中から財宝を取り上げるには地図をつぶさに観察し、場所を把握しなくてはならない。この歳になって、自分ではとんとそれができなくなった。スキルトイ屋も、ボードゲーム屋も、ガンプラ屋も、飯屋も、飲み屋も、みんな人から教えてもらってばかりだ。私が独自に開拓した店に入ったのなんて、この街ではもう前の時代までさかのぼらなくてはならない。

 別段それに困らなくなる程度には、秋葉原から遠ざかった。私はオタクだ。前進することをやめてしまった、古ぼけてくすんだオタク。昔取った杵柄と、交友関係が生じさせた隘路をうねうねと行きかう、四肢のない生き物。

 なんという恵まれた生き物だろう。餌が潤沢な時代だ。口を開けていれば通信デバイスが情報を届けてくれる。ネット通販が物欲を満たしてくれる。自分からの主体的なアクション必要なしに、巣で口を開けている雛鳥みたいに構えていれば、退屈を埋めるにはあまりある。

 秋葉原で、カップ・オブ・エクセレンスのコーヒー豆を提供する店がある。GWで秋田から上京した友人が行きたいと言った。カップ・オブ・エクセレンス。COE。受け売りの開陳を恥としないならば、それは世界的なコーヒー豆の規格であり、コーヒー産地の国ごとに行われた品評会で、その年で最も優れたコーヒー豆に送られる栄誉だという。規模やその品格については私は具体的な実感も知見も持たないが、相当な格式を持つらしい。

 興味を持たれた方には、詳細に紹介しているサイトがあるので参照されたい。 

https://www.thecoffeeshop.jp/theshortissue/what-is-coe/

 ともあれ。秋葉原にあるその店は、非常に手頃な価格でそのCOEのコーヒーを提供してくれる。インフルエンサーとしてはFランクの私が店の名前を明かしたところでその心配もないとは思うが、穴場のようなので混雑されても困るから、伏せておくことにする。調べればすぐに出てくるので、無駄な抵抗といったところだ。

 そして問題のこのコーヒー。実際、ウマい。長々と冗句を垂れ流そうとも思って書いては消したが、しっくりこなかった。ウマい。その一言で片づけるのがしっくりくる。

 

 友人にほいほいついていっただけで、存分に堪能させてもらった。店自体の雰囲気も大変によく、談笑しつつ落ち着かせてもらった。昼食を先に済ませてしまったのでトーストを食べることはできなかったが、友人の食べるのを見ている限り蓋然的に美味い。次に行ったときは絶対に注文しようと思う。

 口を開けているだけの雛も悪くないものだ。次に誰かを連れていくこともできる。新たな親鳥になるのは、いつも雛だ。私は雛であることに怖気づかない。

 

 話は変わるんですが、画像はコーヒー屋のあとオタクショップで収穫した荒木比奈グッズです。(こいつのおかげでその後に行ったカラオケでマジで15年ぶりくらいにアニメ店長を歌ってしまった)

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貴種流離譚

 そうめんを流した。人生初の流しそうめんだ。

 流水にそうめんを委ねそれを掬いあげるという文化を知ったのは、確かテレビアニメのコボちゃんだったと記憶している。検証もしていなければ、記憶もあやふやなので、サザエさんだったかもしれない。自分が幼少期のころに放送していたそのあたりのファミリー向けアニメだ。

 セイキンTVで「そうめんスライダー」の紹介を新商品が出るたびにやっている。毎度楽しみでそれを観ていたのだが、引っ越して空間に余裕が生じ、人を家に招くことに衒いが亡くなったことで、自分も家でそうめんを流すことに興じようと思った。

 本来なら自分にプラスして四人が参加するハズだったが、二人が体調不良で欠席。この季節の変わり目に平素の屈託の帳尻を合わせようとした反動が、後半に差し掛かって出てきたと思えばありそうな話で、超大型連休も考え物である。もともと自分以外の全員が初対面というそうめんマスカレードになるはずではあったのだが、そこに関しては良かったかもしれない。欠席者二人の一刻も早い回復を祈る。

 会自体は好評だったと思う。揖保乃糸の上級が引っ越し前の家の近くのスーパーで約半額になっていたのでまとめて買っていたものが、ようやく処分できた。セール品の烙印を押された貴種が水に流され、また各々の胃の中へ流されて行ったというわけである。

 余談だが、自分が購入した「そうめんアドベンチャー」はサマーランドにあるウォータースライダーを模したものであるらしい。人間が流れゆくさまを模した機械でそうめんを流す。今度からサマーランドに行く際にはいろいろと考えてしまうというのは、参加者の一人の弁である。

 さておき、前日に気合いを入れてあおさやら海苔やらの薬味をしこたま買い込んでいたのだが、食べるラー油とわけぎしか出番がなかった。これらは後日自分で処理しようと思う。