【映画感想】皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

 もう一カ月くらい前になるけど、見てきました。
 ティザー公開されたときから見たい見たいと思っていたんですが、ツイッターでほめてる人がいて、調べてみたらまだ池袋でやってるということだったので大戸又さん(アストロノーカやチャイナ・ミエヴィルの二次創作をやってるナイスガイです。海外SFもめっちゃ詳しい)と一緒にレイトショー言ってきました。




 以下、ネタバレ含む。

 イタリア初のヒーロー映画、批評性はバッチリだ。
 だがしかし、あえて言いたい。『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』はヒーロー映画という枠の中でのみ語られるような作品ではない、と。一人の男(或いは、聖人)の懊悩と葛藤、そしてその克服を描いた映画であり、その結果としてたまたまヒーローものになった。これは、そういう類の物語だ。

 主人公がスーパーパワーを持つのは、彼が宇宙人だからでも、特殊な蜘蛛に噛まれたわけでも、まして父親によってサイボーグに改造されたからでもない。川に廃棄された放射性物質によってである。はっきり言って、雑だ。目の肥えたヒーローファンならガッカリすることは間違いない。かくいう自分も、その一人だった。
 だが、そんなヒーローオタクも、すぐに気づかされるだろう。一人のヒーローの誕生に劇的に作用するものは、スーパーパワーを獲得する過程である必要はないことを。力を得ることはほんのささいなきっかけの一つに過ぎない。彼をヒーローとして屹立させるのは、もっと大切なこと。そう、人間同士のドラマなのだ。
 この映画では(鋼鉄ジーグを題材にしているにもかかわらず)オタク臭い「見たこともない設定!」「カッコイイアクション!」「ヒーローの大活躍!」なんか、どうでもいいのだ。重要なのは、友達も恋人も家族もいない、ただ生きることに必死な、一人の男のひたすらな人間臭さなのである。

 彼はヒーローとしては、かなり弱い。銃で撃たれた傷は一両日で完治もするが、切られた足の指はくっつかない。常人離れした怪力と治癒能力を持っているが、痛みはあるし、血も流れる。しかるべき兵器と殺意を用意したら、殺すことはそう難しくないだろう。
 だが、それでいいのである。なぜなら、これは不死身の男のスペクタクルなんかではなく、ちっぽけな一人の中年男の、孤独な苦闘なのだから。

 そしてヴィランもまた、小物としか言い様がない。驚くべきほどに小物である。
 かつてバンド活動でテレビに出たことがあるというのが唯一の誇りの、YouTube のカリスマになることを夢見る街のごろつきだ。他のごろつきも、一応は彼を主軸に据えているが、内心ではなめ腐っている。彼は、主人公の登場によってもともとまっとうとは言えなかった人生を、さらに転落させられていく。
 物語中盤で上部組織であるマフィアに粛清され火炎放射器で焼かれた彼は、川に落ちる。そこで主人公同様に放射性物質によってミュータント化するのだ。そして川から上がり、自身がスーパーパワーを手に入れた彼が最初にやることは、YouTube に投稿する動画の撮影である(その内容は、マフィアへの報復としてアジト襲撃だが)。
 ヴィランも主人公同様、格闘の素養はない。最終決戦は、はっきり言って子供の殴り合いである。だが、この作品の登場人物に高等な格闘訓練を受けた人物は登場しない。だから、これでいいのである。仮にスタイリッシュなアクションを見せられても、茫然と見守るほかないだろう。そういった、他の映画では瑕疵となりかねない箇所が、随所で作品のリアリティを力強く担保している。

 拾って来るピースも、いちいち作品に対する相性がよい。
 オタクショップの試着室でサカろうとしてヒロインの機嫌を損ねる主人公なんて、見たことがあるだろうか。ティーンであれば情動、で済まされるようなシーンも、中年男性がやれば、性暴力としての側面が生臭さにえづきそうになるほど強調される。さらに言えば、ヒロインは精神的に不健康で、カウンセラーや父親から性的に眼差されてきた過去を持つ。ヒロインが主人公をヒーローとして慕っている、という前提があったとしても、かなりカッコワルいシーンだ。生理的嫌悪を催すこともやむない場面と言える。それも、性欲を持った男性としての汚らしさをもった主人公であることを、如実に我々に教えてくれる。

 また、廃墟になった遊園地で、ヒロインを乗せたメリーゴーラウンドや観覧車を、主人公が怪力で動かしてやるところなどは、スーパーパワーを日常に落とし込んだミニマリズムと同時に、どこか、儚さを称えている。まるで、二人の蜜月が長く続かないことを予感させるように。

 監督は、ハリウッドで映画の脚本を学んできたそうだ。道理で脚本が本当によくできている。モチーフの繰り返しや、一つのセリフや何気ないシーンが後々に効いてくる伏線など、丁寧な仕事だ。
 だが、はっきり言って、恵まれすぎた豪奢なハリウッドの環境では撮影することができなかった作品であると、確信できる。よっぽど低予算らしいが、どこまでそれを加味し計算して描かれたのか、確かなことは言えない。だが、すべてが計算されつくしていると言われてもなるほどと唸ることができるほどに、台詞、演技、画面、小道具。その他作品を構成するすべての要素が、精緻に積み上げられている。
 こんなもの、ヒーローに恵まれた日本やアメリカでは、見ることができないだろう(近年アダルトビデオやアマチュア作品などで、低予算の特撮作品もあるにはあるが、その制約を強みにまで止揚するガッツがある作品は寡聞にして知らない)。

 この作品、レンタルが開始したら、ぜひいろんな人に、特に和洋問わずヒーローものが好きな方々はもちろん、濃厚な人間同士の思想のぶつかり合いに飢えた方々にぜひご覧になっていただきたいと思う。


 主題歌もまたよい。メロディぶっ壊しているけど。