【映画感想】ニンジャバットマン

「和製作品にはないものが観たくてアメコミ映画を観ているのに、わざわざ和製作品で見たようなことをバットマンでやるのか」
 劇場で予告を観たとき、正直に言うと、そう思った。

 私はバットマンに関して言うと、完璧ににわかだ。ノーラン三部作が流行ったころに観ていたくらいで、過去の映画作品も観てはいるが、ほとんど幼少期だったのであまり記憶にはない。原作シリーズも読んだこともなければ、ジャスティスリーグもよくは知らない。(バットマンが主人公ではないが『ヒットマン』シリーズは読んだ。私怨でトミーに複雑な感情を抱いたバットマンもまた魅力的だった)
 それでも不思議なもので、自分のような半可通にも、心の中には「バットマン性」みたいなものが存在する。
 金持ちだけど正義の心を身に宿し、泰然と戦うヒーロー。落ち着いた大人の肖像。カッコイイ大人という印象が染みついている。

「不殺」という点に関しては、あまり感心していない。というのも初期のバットマンはそのようなお題目は掲げておらず、悪人を容赦なく殺す場面も見られたそうで、それが時代の流れによって、現在イメージされているような不殺を身に着けていったようだだ(この点に関しては伝聞である)。バットマンという人格について、悪人を殺さない、という必然性があまり感じられないということも強い。今回のバットマンについては、その点を大きく扱っていなかったことも、個人的にはポイントが高い。

 閑話休題

 だから、今回はだいぶコミカルで荒唐無稽な面が全面に出ていることを予感させる予告を観た段階では、自分の中のバットマン性を毀損するのではないかと、多少身構えながら挑んだ。
 はっきり言おう。杞憂だった。
 正直ブルース・ウェインのキャラデザが原作版孤独のグルメ井之頭五郎にしか見えないものではあったが、それでもバットマン自身のカッコよさは少しもイメージと相違がなく、見ず知らずの民のために身体を張るヒーローとして屹然と存在してくれた。
(ロビンが変なちょんまげ姿で猿とイチャコラしているところはげんなりしたが)

 破天荒さ、という点をバットマンではなくヴィラン側に設定しているのも心憎い。ばかばかしさの大概の箇所は、ヴィランたちが担っている。それもアメリカのヒーローとヴィランが戦国時代にタイムスリップするという筋の中でいきいきと機能している。
(猿の組体操という一部の例外についてはまあ、という感じだが)

 見る前に抱いた不安を払拭してくれたという意味で、非常に良い映画体験だった。

 また本作の魅力は、画面の美術的な構成にあると言える。このあたりはまあ見ればわかる程度の話ではあるのだが、観賞時にあの日本的意匠(という言葉が適切かはわからない)の施された背景が開けるように明るく写実的な画面を獲得する様は、かなりはっとさせられた。まあ、この件については詳しい人がたぶん書いているだろう。