【じょしらく】設定考察

 考察とは書いてますが、作中から読み取れる設定をざっくりまとめただけです。きちんと書いても大した分量にはならなそうだったから箇条書きで、なるべく残っている可能性には目を向けたつもりだけど、ちゃんと裏取りしきれてない適当な感じで。二次創作する方はヒントにしてくれたらこの記事の供養になると思うよ。

 一応、落語界の知識についてはここ(http://www.geikyo.com/index.php)のサイトを参考にしています。
 

・魔梨威さんは徳島出身(参照:原作七日目「無情風呂」)なので一人暮らしは確実。末広亭にジャージで来ていたこと(参照:アニメ一席目「ふく違い」)から、あのあたりに住んでいるのかも知れない。

・魔梨威さんは家でも着物を着ている(参照:単行本三巻32ページ)ようだが、先述のアニメ一席目「ふく違い」では荷物らしい荷物を持っていなかった。小学生の体育着のように週に一度持って帰っているとかそういう具合か、最近着物を新調した(参照:原作三日目「楽屋の富」)ようなので、新しいものは寄席に置いておき古いのを部屋着にしているか。末広亭でのみ興業するわけでもないだろうから、出張用の予備をたまたま部屋で着ていただけかもしれない。
 それにしても原作二十二日目「お開票」で羽織ごとバッサリ切れてしまっていたが、着物なんてそう安いものじゃなかろうに、魔梨威さんの懐は大丈夫だっただろうか……

・同じく単行本三巻32ページから、魔梨威さんはミカンやヤカンに顔を書いちゃう癖があるらしい。可愛い。

・キグは犬を飼っていて、(参照:原作一日目「犬と猫の災難)祖母と同居ないしは近くに住んでいる(参照:原作三日目「楽屋の富」)。以上からおそらく実家住まい。

・家族についての詳細な描写があるため苦来もおそらくは実家住まい。(参照:原作十八日目「夢見の仇討」)「日に日に祖母の化粧が云々」とあるので正月で実家に帰ってたというわけでもないだろう。(後に詳述するが、そもそも前座が実家に帰るような暇があるかは多少疑問)

・手寅と丸京は、一緒に集団登下校するということは校区が一緒であるにもかかわらず、江戸ザイルの公演に丸京だけ間にあい、手寅は来られなかった。(参照:原作十二日目「真田小ZOO」)二人で別々に上京してきて、近所には住まず違う地区に住んでいる? なんらかの理由であの日は丸京だけはやめに楽屋入りしていた・どちらかが一人暮らしを始めそれで家が遠くなったなどの可能性もある。

・落語の世界では前座から二つ目の昇進はほぼ年数のみで決定するという。丸京に対して手寅の方が昇進が遅いことを疑問に思ってる方も多いと思う。逆手にとって考えると丸京が先に落語の世界に進んだ間に手寅が大学なり短大なりに行っていたのではないかと考えられる。だが、この仮説はアニメ六席目「武蔵八景」で丸京が先輩ではないと言っていたためかなりあやしい。
 実は手寅の方が丸京より年上ととることで一応おさまりがいい解釈にはなる。手寅が先に上京し、後を追うように丸京もやってきたが、進学が決まっていなかったため落語家を目指す→就職を決める際に手寅も丸京と同じ道を選ぶ。事実上先輩ではあるが、年上の手寅が田舎時代に年齢のへだてなく接してくれていたことから、自分は手寅のことを後輩とは思っていないよ、という意思表明で……という具合か。一本中編小説が書けそうだ。

・「中央線が止まっちゃってさらにタクシーに急いで乗りかえたら甲州街道が〜」というセリフからもわかるように手寅は西東京方面に住んで言うことは間違いない。俺は地理にはあまり詳しくはないが、府中あたりに住んでいるのではないかと漠然と考えていて、となると魔梨威さんがテレビをもらいにいって寄席まで運びこむのはなかなかホネである。わざわざ郵送したか、でもなければ車を出した(=魔梨威さんは免許を持っている)ということか。(徳島がどういう場所かも俺はよく知らないが、田舎暮らしだと車は必須だそうだ。だが運転する魔梨威さんというのもあまり想像しづらい)
 車もってるとはあんまり思えないので、テレビもらってくるためにレンタカー借りて、あの階段登って楽屋までテレビを運び込んだと思うと、なんというか、その、ごくろうさまです……(落語家らしいあいさつ)

・手寅のテレビ、ぶっちゃけ魔梨威さんが手寅の家からリアカー押して近所の運送業者に持ってくってのが一番てっとりばやくイメージ湧く。

・前座の落語家は休日が大の月の31日のみだそうだ。アニメBパートのお出かけ回がお休みの日に行われていたとすると、だいたい二カ月に一度行われていたというわけで。Bパートはだいたい丸京が観光ガイドの役目を勤めているが、魔梨威さんはそういうガラじゃないし、他の三人は前座で忙しいから彼女が買って出たということだろうか。なかなか面倒見が良い。

・アニメBパートでは駅前で待ち合わせたり(参照:六席目「武蔵八景」十一席目「五人さかい」)、電車に乗って一緒に来たようだったり(参照:八席目「よろよろ」※注、十三席目「アキバぶる」、)喫茶店で待ち合わせたり(参照:十二席目「こぁいのう」)合流する手段は日によってずいぶんまちまちなようだ。ひょっとしたら、待ち合わせが描かれている日が彼女たちのお休みの日で、描かれていない日は寄席に行く前後に遊んでいるのかも知れない。
 ※注・魔梨威さんが、巣鴨に到着してから目的地が秋葉原ではないことについて文句を言っていることから。

・アニメ五席目「小洒落町」で手寅が「普段寄席とうちとコンビニ以外出歩かない」と言っていたので、(単に他の場所を省略した可能性もあるので、結論づけちゃうのは早計かもしれないが)彼女は現在バイトしていないorコンビニバイトしている(前座は忙しいそうなのでバイトと両立できるかは定かではない)。またコンビニしか行かないということは自炊もしていないようだが、ひょっとして前座の生活費は師匠の懐から出てるんだろうか。

・それにしてもこれはだいぶ主観が入るが手寅はずいぶん綺麗なところに住んでいるらしく(参照:原作十二日目「真田小ZOO」)、一人暮らしと考えるとなかなか羽振りがよさそうだ。キャバクラバイト時代の貯金か、家が金持ちかのどちらかだろう。

・これまで前座は忙しい、ということを強調してきたが、作中では前座の仕事はほぼ覆面がやっている(参照:アニメ一席目「ふく違い」、十三席目「ちょいたし講釈」)ようなので、仕事は全部彼女が引き受けているのかも知れない。押しつけてないにせよ、たとえば今前座が余っている状態で持ち回りで仕事しており、画面に映ってないところで手寅たち三人も仕事しているか、二つ目の昇進間近なため免除されているのだろうか。だが、下記の理由からあまり釈然としない。

・手寅が覆面に対し「てゆーか誰?」(参照:原作六日目「こがね袋」)と言ったことから、当初は存在も認知されていなかったようだ。原作四日目で初登場だが、案外あの日はじめて楽屋入りを許されたのかも知れないけれど、それにしてもキグに後輩がいないように描かれている(参照:原作二十一席目「下僕の仇討」)あたり、覆面の立ち位置には大きく謎が残る。

・はな、『じょしらく』自体が時間的にあまり広いスタンスをとっていない作品であり(アニメ自体ひとつのパートの所要時間が十分に満たない)、前座の人間が楽屋で多少ぐだついてくつろいでいる休憩時間に行われた会話劇であるととらえることもできる。要するに寄席における「たまたまあの五人がそろった時間」を切り取っている可能性である。正月やらクリスマスパーティやらやっていた気もするが、寄席でそれらがどう祝われるのか寡聞故存ぜぬので考えないようにする。

・原作四巻102ページでコンビニバイトしている魔梨威さんのイラストがある。ネームプレートに「まりい」と書いてあることから、姓名どちらかがそうである可能性が高い。ただし、アニメ九席目「上野のクマ」で苦来が上野動物園の年パスに、高座名で記名していた事実があるので、高座名を本名同様に扱うこともあるかもしれない。またフランクなコンビニだとあだ名でプレートを書かせる場合もあるという。
 それにしてもこの画像、二つ目昇進後の写真なのだろうか……落語家って儲からないんだな……

じょしらくスペオペにしてサイバーパンクにしてシンギュラリティものにしてスペースホラーにしてファンタジーである。蕪羅亭魔梨威や暗落亭苦来が本名ではないと誰に言える?

・魔梨威さんがアニメで使用していたギター(参照:十席目「唐茄子屋楽団」)は全体のカラーリング、ポジションマークなどの観点から某国産メイカーの67’フライングVモデルであるとにらんでいる。魔梨威さん国産にこだわりそうだし。俺が近いうち買おうと思ってるけどネットショップでは在庫が少ないらしいので、どこのメイカーのどの型かは明記しない。原作版のほう黒いギター(参照:十五日目「唐茄子屋楽団」)は左右が珍しい比率で形状的にキングVともランディVともつかず、フロントPUの位置もVシェイプにしてはあまり見ない位置についているのでほぼ間違いなくオーダーメイドだろう。こちらも、将来的に金をためてどこかで作ってもらおうと思う。

・師匠についてが気になっている。同門でも別の亭号を与えることもあるそうで、あんな冗談じみた高座名をつけるくらいなので、五人とも同じ師匠ということ十二分にあり得る。原作一巻の口絵には蕪羅亭月日という人物の存在があるが、こちらも謎である。他の四人がダジャレないしは明確なキャラ性を象徴した名づけであることを鑑みるに、ひょっとすると、蕪羅亭一門だけ四人とは別門かも知れない。

・原作三巻では幕間に過去にしていたバイトについての挿話がある。ウィキペディアには、落語家に「転向」する前のこととして記述されており、これは手寅の「落語家になる前ってこと?」というセリフをうけていると考えられる。だが、魔梨威さんがアマさんをやっていたことに関して「息の長い芸」という意味が込められていると言っていることから、すでに落語の道を志してはいた時分であるといえる。そもそも落語家は、見習い時代は楽屋に入ることも許されずいわば落語家未満でありその頃にしていたバイトである可能性は排除しきれていない。以上をもってするとウィキペディアにある表現「転向」というのは穏当ではないと考える。まあ、これは単なるいちゃもんみたいなもんですね。

 こんなトコかな。妄想を多分に混じらせるとまだまだ書きたいことは山ほどあるけどとりあえずこんなところで。
 俺は、本当に素晴らしいアニメに出会ってしまった。この記事を、暇ととるか情熱を傾けているととるかは読者の自由だけど、俺は後者のつもりですよ。