令和を迎えたのは田園都市線の電車の中だった。つり革に身体の重みを預けながら読書をしていたところで、近くの乗客がその連れに「もう令和だよ!」と言っているのが聞こえた。携帯電話の時計を確認すると0が三つ並んでいる。新時代の幕開けなんて、実生活から見ればこの程度のことだ。

 元号なんて使いづらい制度に関してはなんら興味がなかった。だが、30年と少しの間、この国の象徴を勤め続けた老人がその任を解かれるということは、素直に目出度いと思う。それは裏返すとまた別の人格が同様の呪いを身に受けて退位までの何年になるかわからない日々を送る暴力の開始を意味するのだが、今はそれに目を閉ざしているとしよう。

 さて、ブログなんて何カ月ぶりに書くだろう。こういうのは段取りをうだうだと考えるよりも、書こうと思ったときに書き始めてみて、違和感があればやめればいい。それだけのことに気づくまで、平成をまるまる使ってしまったことになる。回り道を若いころは取り返しのつかない失態と忌避していたものだが、この歳になるとそういったことがすべて雑に処理できるようになったのは、成長と呼んでやってもいい。

 今日は大学時代の後輩に、一年ほど貸していたギターを返してもらいうため渋谷へ行った。軽音サークルの後輩で、入学時からかなり上手く、いまだにバンド活動を続けて精力的に音源を発表したり、ライブイベントに出演したりしている。音源の質も高く演奏力も確かなのだが、もっとはっきりと売れるためのチャンスの糸口をつかみかねているらしい。最近自分もちょくちょく音源を作ろうとしてし損ねているので、頑張っている人間と時間を共有するのはいい刺激になる。

 その後は新宿に繰り出して、文筆仲間の友人とお茶をしながらヒップホップの話や映画の話、創作の話をした。今彼は、人生の転機に差し掛かっているらしく、年長者らしくなにかアドバイスのようなことを言おうと思ったが、から回って頓珍漢なことばかり口走ってしまった気がする。ともあれ、彼も創作を大変に頑張っている。こうして平成最後の一日は、期せずして昭和の残党として若者の背中を押す老人の役割を演じる一日となった。

 久しぶりにブログエントリの編集フォームを開いてみたのも、そういうわけである。才能という信号が流れれば、どんな凡庸で、この歳まで燻っていたシナプスも、スパークせざるをえない。見続けていれば消えないはずの夢は、老化による視力の低下に伴いその姿をうすぼんやりとさせてきたが、久しぶりにその輪郭が照らされた気がした。

 改元とは生活レベルでは一つの区切りでしかない。前回の改元の時は、母の乳を飲みながら能天気に涎を垂らしていた。今回は、この区切りに、何かを賭けてみるのも、いいのかもしれない。